自覚などしょせんその程度

つぶやき

普段自分の感覚が大事とうるさいくらい言っておきながら
今日のテーマは大してあてにならない自覚という矛盾。

矛盾にまみれた話題なので、文章を読んでいても???となるかもしれませんが
よろしければお付き合いください。

自覚とは読んで字のごとく自分の感覚のことです。
漫画や小説やテレビなどで「自分の体は自分が一番よくわかっている」というフレーズを何度となく聞いた覚えがあります。
私の記憶内では、親しい間柄の人にケガや病気を心配されてなだめられた時の逆ギレの際に使用される、というのがだいたいのパターンです。

そういうシーンを第三者の視点で見ていると、いくら本人が大丈夫と言ってもとても大丈夫には見えない状況がきちんと理解できます。
が、不思議なことに本人の立場に立たされると途端にわからなくなる現象が起きます。

助産師ネタで一番あるあるなのは
妊婦さんに妊婦健診で医師が「お腹張りますか?」と尋ねる
「張っていません」と答える。
触ってみるとめっちゃ張ってる!!
です。

他にも
肩こりをしたことがないという人の肩を触ってみたらガチガチのゴリゴリで
これが肩こりでないのなら、どれほどかたくなったら肩こりと認めてもらえるのか…と遠い目になったり

いけると思って動いたのに、自分のイメージ通りに体がついてこなかったり

証明写真を撮るときにまっすぐになっているつもりなのにいつも頭の位置を直されたり
私自身学生時代いつもそうだったのですが、聞いてみると意外と同じ経験をしてる方がいらっしゃってびっくりしました。

自分の感覚と第三者的感覚が全然合っていない場面はいっぱいあります。
どちらかが正解でどちらかが間違っているというわけではなく、当事者たちの中ではそれそれ感じていることが事実で、本人が感じているものは本人にしかわかりません。

ただ、事実として自覚などその程度だということです。そもそも脳が騙されやすいこともそれなりに有名です。
自分の世界の事実は事実として、認識できないとかあえて認識しないとか、捻じ曲げて認識しているものもたくさんあります。いらない音は除外して聞ける耳の感覚とかわかりやすいですよね。

肩こりを例にとると、だいたい肩こりがひどすぎて、四六時中不快でいるのが嫌だから認識するのをやめる、というパターンを多く見かけます。
かくいう過去の私もそれでした。生まれてこの方肩こりしたことがない、と言い放って、「こんなにごりごりなのに?」と友達に言われる、いろんな意味でイタいやつですね。
整体に出会って、体の緊張が緩み始めてから、自分がたいそうな肩こりであることを認識しました。
自覚ってアテにならないことを身をもって知りました。

なので、自分の感覚だけに全振りするのではなく、ときには鏡で自分の姿勢を見てみたり、手の触覚で触って確かめたりするだけで別角度の情報が補完できるので
自分の中にあるイメージと実際がずれている時に、早めに認識できると思います。
人は認識していないことがらは、目の前にあっても、現在進行形で起こっていても、それを感知できません。
認識していないことを、なんとかすることはできません。

自覚の過信にはちょっと注意がいりそうですね。

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